浜田龍哉 Fieldnote
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/
建築、アート、旅や日常の話をUPしていきます。
HAMaDAS
2010-01-16T19:44:27+09:00
ja
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晩秋の軽井沢
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/2010-01-16
11月の下旬に、北軽井沢の半セルフビルドで建てた山荘を見学に行った時の写真。ブナの林は葉が落ちて明るく気持ちいい。くるぶしが隠れるほどに落ち葉が積もっている。朝には霜がびっしり。久しぶりに霜柱を見た。秋の軽井沢のスライドショー
旅ばなし
HAMaDAS
2010-01-16T19:44:27+09:00
ブナの林は葉が落ちて明るく気持ちいい。くるぶしが隠れるほどに落ち葉が積もっている。
朝には霜がびっしり。久しぶりに霜柱を見た。
秋の軽井沢のスライドショー
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嵐の後の収穫物
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/2009-11-24
嵐の後の海辺にはいろいろ面白いものが落ちてたりする。 ちょっと前になるが、葉山の浜を歩いて見つけた物。 軽石。水にぎりぎり沈むくらいの軽さ。黒いところは木炭みたいに見える。噴火の時に巻き込んだ木片だろうか。硬くなって石と同化してる。 そういえばこの浜からは富士山が正面に見える。 ビーチコーミングの定番、陶器の破片。呉須の色からそんなに古いものではなさそう。一つは模様が西洋磁器らしく肉が薄い。葉山だけに、どこかの旧家で使われてたティーカップか何かだろうか。何かの骨。ライターと比べるとわかるように、かなり大きい。掌より少し大きいくらいで、細長い骨が折れた一部らしい。穴は歯の跡だろうか。 とするとかなりでかい動物。イルカの歯はもっと小さいし。鯨のあごの骨の一部では、と思ってるけどどうかな。また調べてみます。
日常雑記
HAMaDAS
2009-11-24T19:18:46+09:00
ちょっと前になるが、葉山の浜を歩いて見つけた物。
軽石。水にぎりぎり沈むくらいの軽さ。黒いところは木炭みたいに見える。噴火の時に巻き込んだ木片だろうか。硬くなって石と同化してる。
そういえばこの浜からは富士山が正面に見える。
ビーチコーミングの定番、陶器の破片。呉須の色からそんなに古いものではなさそう。一つは模様が西洋磁器らしく肉が薄い。葉山だけに、どこかの旧家で使われてたティーカップか何かだろうか。
何かの骨。ライターと比べるとわかるように、かなり大きい。掌より少し大きいくらいで、細長い骨が折れた一部らしい。穴は歯の跡だろうか。
とするとかなりでかい動物。イルカの歯はもっと小さいし。鯨のあごの骨の一部では、と思ってるけどどうかな。また調べてみます。
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磨製石器?
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/2009-08-31
八ヶ岳の下山途中で見つけたこの石。 ただの石ころにみえるが・・・ これ、縄文時代の磨製石斧の可能性がある。 まさかぁ、と思うでしょうが。 その根拠は。 ・これを見つけたのは火山性の岩ガラガラの場所。河原とかでないから磨り減った石が自然の状態であるのは不自然。それで、ん?と思って手にとってみた。 ・バチ型の形は縄文時代の石斧によくある形。刃の部分が円弧型なのもよくある。 ・断面方向で見ると、今の刃物にもある片刃。これも石斧によくあるらしい。説明がむずかしいが、丸い溝で磨くとこんな刃ができるはず。 これだけ条件ぴったりの石が自然にできてこの場所にあるのは、むしろ可能性低いと思う。 握ると3枚めの写真。実に手にしっくり決まる。バチ型だから力が入りやすいだろう。こういうのは木の伐採などに使われたらしい。 八ヶ岳周辺には旧石器時代、縄文時代の遺跡が多い。縄文時代には頂上付近で取れる黒曜石を採掘し、関東一円に流通していたというから、この登山道あたりを行き来していた可能性はある。 ちなみに2枚目の脇に移ってる黒い石は、山頂付近で見つけた黒曜石。 縄文人は、山を自由に行き来していた。橋を架けるのが難しかったこの時代には、平地を移動するより峰をつたったほうが楽なこともあるからだ。縄文人の精神性は修験道に受け継がれたという。今の登山道も、初めの開拓者は縄文人たちだったのかもしれない。近くの尖石遺跡が栄えたのは5~4000年前。ほんとかな、とも思うけど、握るとなんともしっくりくる。
旅ばなし
HAMaDAS
2009-08-31T22:36:29+09:00
ただの石ころにみえるが・・・
これ、縄文時代の磨製石斧の可能性がある。
まさかぁ、と思うでしょうが。
その根拠は。
・これを見つけたのは火山性の岩ガラガラの場所。河原とかでないから磨り減った石が自然の状態であるのは不自然。それで、ん?と思って手にとってみた。
・バチ型の形は縄文時代の石斧によくある形。刃の部分が円弧型なのもよくある。
・断面方向で見ると、今の刃物にもある片刃。これも石斧によくあるらしい。説明がむずかしいが、丸い溝で磨くとこんな刃ができるはず。
これだけ条件ぴったりの石が自然にできてこの場所にあるのは、むしろ可能性低いと思う。
握ると3枚めの写真。実に手にしっくり決まる。バチ型だから力が入りやすいだろう。こういうのは木の伐採などに使われたらしい。
八ヶ岳周辺には旧石器時代、縄文時代の遺跡が多い。縄文時代には頂上付近で取れる黒曜石を採掘し、関東一円に流通していたというから、この登山道あたりを行き来していた可能性はある。
ちなみに2枚目の脇に移ってる黒い石は、山頂付近で見つけた黒曜石。
縄文人は、山を自由に行き来していた。橋を架けるのが難しかったこの時代には、平地を移動するより峰をつたったほうが楽なこともあるからだ。縄文人の精神性は修験道に受け継がれたという。今の登山道も、初めの開拓者は縄文人たちだったのかもしれない。
近くの尖石遺跡が栄えたのは5~4000年前。
ほんとかな、とも思うけど、握るとなんともしっくりくる。
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北八ヶ岳もののけ縄文ワールド
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/2009-08-28
北八ヶ岳、諏訪盆地はもののけ姫の舞台のようだ。 富士見町には「乙事」「烏帽子」「小六」などの地名もある。 このあたりは縄文時代から狩猟文化の色濃いところ。古事記の時代、西からの勢力が落ち延びてきて土着の民と共存し、今の諏訪大社を中心とするこの地の文化ができた。御柱祭なども起源は縄文時代まで溯る可能性がある。 八ヶ岳頂上周辺には黒曜石の取れる場所がある。黒曜石は鋭い切り口ができるので縄文時代に刃物として使われた。これらは遠く青森まで運ばれたという。 また稜線近くには神秘的な池が散在し、遠くには浅間や富士山も見える。 黒曜石は単に便利なだけでなく、縄文人たちはそれを通してよりよく、より遠く、世界の不思議を求めはじめたのだろう。彼らの見た世界は、今で言う科学、芸術、哲学、宗教のいずれとも分かちがたいものだったかもしれない。 北八ヶ岳のスライドショー
旅ばなし
HAMaDAS
2009-08-28T23:06:19+09:00
富士見町には「乙事」「烏帽子」「小六」などの地名もある。
このあたりは縄文時代から狩猟文化の色濃いところ。古事記の時代、西からの勢力が落ち延びてきて土着の民と共存し、今の諏訪大社を中心とするこの地の文化ができた。御柱祭なども起源は縄文時代まで溯る可能性がある。
八ヶ岳頂上周辺には黒曜石の取れる場所がある。黒曜石は鋭い切り口ができるので縄文時代に刃物として使われた。これらは遠く青森まで運ばれたという。
また稜線近くには神秘的な池が散在し、遠くには浅間や富士山も見える。
黒曜石は単に便利なだけでなく、縄文人たちはそれを通してよりよく、より遠く、世界の不思議を求めはじめたのだろう。彼らの見た世界は、今で言う科学、芸術、哲学、宗教のいずれとも分かちがたいものだったかもしれない。
北八ヶ岳のスライドショー
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「梅庵の夏やすみ」展 あと2日
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/2009-08-18
告知遅くなりましたが、改装で関わってきたあとりえ梅庵の「梅庵の夏やすみ」展 残すはあと2日です。 8/22(土)、8/26(水) 15~18時 大人になると夏休みってなかなかないですが、ここにいる時間は数時間でも「夏休み」ってことでこのタイトルになりました。 ○丸山晶子の藍染展示販売 ○minakoの和ものビーズアクセサリー展示販売 ○浜田龍哉の写真展 、杉Jパネル製の椅子の展示 また写真を出すよ。5月の江ノ島展望台に続き「千の貌」シリーズ。 ○梅庵の庭で採れた梅で作った梅ジュースや梅干しを 味わってもらえる梅カフェ 最終日の8/26(水)にはK-Style湘南主催の ワークショップも開催予定 ※詳細はまたこちらにアップしていきます。 昭和のふる~いなつかし~い風情の夏を味わいにぶらりと 遊びに来てくださいね http://ume-an.com/schedule.html・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・夏の疲れた身体に梅酢やしそジュースがききます。その場所で採れたものを頂く季節のイベントっていいな。こういうのはいろんなところで応用できそうだ。あとりえ梅庵のスライドショー
建築、住宅、街並
HAMaDAS
2009-08-18T23:42:48+09:00
8/22(土)、8/26(水)
15~18時
大人になると夏休みってなかなかないですが、ここにいる時間は数時間でも「夏休み」ってことでこのタイトルになりました。
○丸山晶子の藍染展示販売
○minakoの和ものビーズアクセサリー展示販売
○浜田龍哉の写真展 、杉Jパネル製の椅子の展示
また写真を出すよ。5月の江ノ島展望台に続き「千の貌」シリーズ。
○梅庵の庭で採れた梅で作った梅ジュースや梅干しを 味わってもらえる梅カフェ
最終日の8/26(水)にはK-Style湘南主催の
ワークショップも開催予定
※詳細はまたこちらにアップしていきます。
昭和のふる~いなつかし~い風情の夏を味わいにぶらりと
遊びに来てくださいね
http://ume-an.com/schedule.html
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夏の疲れた身体に梅酢やしそジュースがききます。
その場所で採れたものを頂く季節のイベントっていいな。
こういうのはいろんなところで応用できそうだ。
あとりえ梅庵のスライドショー
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海の家Asia建設
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/2009-08-04
この6月は鎌倉の海の家Asia建設にかかりっきりになっていた。具体的に何をやっていたか一言で説明するのはむずかしい。設計と現場管理、材料の調達その他建てるために必要なことを進めるという仕事。砂の上なのでただ動くにも平地より疲れる。だが自然の中での仕事なので気持いい。法規にしばられないが、いつものやり方というものが存在しないのですべて五感を使って考え、作る。これは面白かった。大工衆も大変だったが楽しんで仕事してくれた。電柱を砂に立てるところなど諏訪の御柱みたいだ。90坪あるのだが海の目の前では小ぢんまりと見える。普通の家の感覚できれいに作っていると弱々しくみえてしまう。外壁の白い部分は自分で塗った。わざとむらの出るように。場所は鎌倉中央海岸。若宮大路を海へ。突き当たって滑川の東に一軒見えるのがそれ。2009海の家Asia建設のスライドショー
建築、住宅、街並
HAMaDAS
2009-08-05T00:08:50+09:00
具体的に何をやっていたか一言で説明するのはむずかしい。
設計と現場管理、材料の調達その他建てるために必要なことを進めるという仕事。
砂の上なのでただ動くにも平地より疲れる。
だが自然の中での仕事なので気持いい。
法規にしばられないが、いつものやり方というものが存在しないのですべて五感を使って考え、作る。
これは面白かった。大工衆も大変だったが楽しんで仕事してくれた。
電柱を砂に立てるところなど諏訪の御柱みたいだ。
90坪あるのだが海の目の前では小ぢんまりと見える。
普通の家の感覚できれいに作っていると弱々しくみえてしまう。外壁の白い部分は自分で塗った。わざとむらの出るように。
場所は鎌倉中央海岸。若宮大路を海へ。突き当たって滑川の東に一軒見えるのがそれ。
2009海の家Asia建設のスライドショー
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木造校舎・鎌倉市立第二中学校
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/2009-05-20
鎌倉市立第二中学校は、今では珍しくなった木造校舎の学校だ。 近々建て替えられるということで、先日ニュースでもやっていた。 週末から今日まで、一般公開されるということで見に行った。 ぼくの通っていた小学校も、当時はこんな校舎だったから、ああこんなだったよなと思い出すことがある。二階の窓から外壁を触ったら、ボロボロになったペンキが剥がれた。踊り場の床を踏み抜いた。机に誰かが開けた穴に消しゴムのカスをつめた。なぜか、そんな時浮かぶのは建物の木の部分だ。建物にはそんな人の記憶がやどっている。 この校舎も、階段の板などいい材料を使っているし、細部も手をかけて作っているのがわかる。 建替えは残念なところもあるが、こうして話題になり新しく建設される校舎もこの面影を残して建てる計画だという。何かのかたちで、この校舎の記憶が残せれば、ここで勉強した子供達もまたいつか懐かしく思い出すことができるだろう。 まずはこれまで大事に使われてきたことを喜ぶべきだろうし、最後に公開の機会を作ってくれたことはありがたいことだ。RIMG1650
建築、住宅、街並
HAMaDAS
2009-05-20T21:00:39+09:00
近々建て替えられるということで、先日ニュースでもやっていた。
週末から今日まで、一般公開されるということで見に行った。
ぼくの通っていた小学校も、当時はこんな校舎だったから、ああこんなだったよなと思い出すことがある。
二階の窓から外壁を触ったら、ボロボロになったペンキが剥がれた。
踊り場の床を踏み抜いた。
机に誰かが開けた穴に消しゴムのカスをつめた。
なぜか、そんな時浮かぶのは建物の木の部分だ。
建物にはそんな人の記憶がやどっている。
この校舎も、階段の板などいい材料を使っているし、細部も手をかけて作っているのがわかる。
建替えは残念なところもあるが、こうして話題になり新しく建設される校舎もこの面影を残して建てる計画だという。
何かのかたちで、この校舎の記憶が残せれば、ここで勉強した子供達もまたいつか懐かしく思い出すことができるだろう。
まずはこれまで大事に使われてきたことを喜ぶべきだろうし、最後に公開の機会を作ってくれたことはありがたいことだ。
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「MADE in 江ノ島」展 開催中
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/2009-05-03
江ノ島展望灯台、一階資料室でいろんなアーティストが展示する「MADE in 江ノ島」展が開催中。 今年は去年より多彩なアーティストが参加しています。 去年に続きぼくも今年もやります。 今年は去年とは一転して実用的、現実的なモノを出します。 ここんとこ作っていた杉の椅子を2つ展示します。 杉という木は、細かい細工には向かないので家具にはあまり使われない。 だが肌触りが柔らかいので、なんとかして杉の椅子を作ってみようとやってみた。建築材料に使われるJパネルという杉の3層パネルから部材を切り出すことで、仕口を減らして作った。 ひとつはおおまじめなダイニングチェア。杉の温かい感触を活かした。椅子をデザインする時いつも考えることは、人間は椅子の上でじっとしていない、ということ。人間工学の教科書にあるような静止姿勢だけでなく、ちょっと横を向いたりひじをついたりした時にフィットするように考える。見に来た方は、試しに座るのはもちろん、ちょっと動いてみてください。もうひとつは組木細工みたいなカンタン分解組み立てスツール。 和風建築での使用や、アウトドアなどでも使えるよう考えた。しかしこれは杉ではむずかしいかも。柔らかいので交差部分がめりこんでしまう。あとアジアの人物写真を大量に一挙公開。 中国、ベトナム、ミャンマー、バリの人物でサービスサイズにプリントしたものを80枚くらいだーっと貼ってみた。一枚一枚より、隣り合った写真と流れができた。今後もこの展示の仕方をやってみたい。加えて、29日、5月4、5日のイベントデーには、ちょっとレトロなガラスの器のフリマ?をやります。昭和の金魚鉢、アールデコ期の切子など出します。他のアーティストみたいに売るものがないので、初夏にガラスがいいかなと 思い集めてみました。江ノ島展は、参加アーティストもいろいろだし、ちゃんとしたギャラリーのようにはいかないが、それだけに実験ができるので参加している。椅子なども、展示のきっかけがないとなかなか実際作るまでいかないので、参加を先に決めて自ら追い込んだって感じか。↓江ノ電HP http://www.enoden.co.jp/light_house/0904_madeine.html
アート
HAMaDAS
2009-05-03T23:26:40+09:00
今年は去年より多彩なアーティストが参加しています。
去年に続きぼくも今年もやります。
今年は去年とは一転して実用的、現実的なモノを出します。
ここんとこ作っていた杉の椅子を2つ展示します。
杉という木は、細かい細工には向かないので家具にはあまり使われない。
だが肌触りが柔らかいので、なんとかして杉の椅子を作ってみようとやってみた。
建築材料に使われるJパネルという杉の3層パネルから部材を切り出すことで、仕口を減らして作った。
ひとつはおおまじめなダイニングチェア。杉の温かい感触を活かした。
椅子をデザインする時いつも考えることは、人間は椅子の上でじっとしていない、ということ。
人間工学の教科書にあるような静止姿勢だけでなく、ちょっと横を向いたりひじをついたりした時にフィットするように考える。見に来た方は、試しに座るのはもちろん、ちょっと動いてみてください。
もうひとつは組木細工みたいなカンタン分解組み立てスツール。
和風建築での使用や、アウトドアなどでも使えるよう考えた。
しかしこれは杉ではむずかしいかも。柔らかいので交差部分がめりこんでしまう。
あとアジアの人物写真を大量に一挙公開。
中国、ベトナム、ミャンマー、バリの人物でサービスサイズにプリントしたものを80枚くらいだーっと貼ってみた。
一枚一枚より、隣り合った写真と流れができた。今後もこの展示の仕方をやってみたい。
加えて、29日、5月4、5日のイベントデーには、ちょっとレトロなガラスの器のフリマ?をやります。昭和の金魚鉢、アールデコ期の切子など出します。
他のアーティストみたいに売るものがないので、初夏にガラスがいいかなと 思い集めてみました。
江ノ島展は、参加アーティストもいろいろだし、ちゃんとしたギャラリーのようにはいかないが、それだけに実験ができるので参加している。椅子なども、展示のきっかけがないとなかなか実際作るまでいかないので、参加を先に決めて自ら追い込んだって感じか。
↓江ノ電HP
http://www.enoden.co.jp/light_house/0904_madeine.html
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フクロウを見た、フクロウに見られた
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/2009-04-24
うちのあたりは電波が悪いので、ケータイで話す時は外でかけたりする。この前も夜、外で電話していた時のこと。 大きな鳥がすーっと音もなく飛んできて、10くらい離れた電線に止まった。トビとカラスの間くらいの大きさか。頭がずんぐりしている。 でもトビやカラスは夜飛ばない。夜に飛ぶ大きな鳥、といえば・・・ そう、フクロウ。 目は見えないけど、なんだかこっちを見てる気がする。 この辺ではフクロウは時々見かけるし、鳴き声を聞くこともある 。去年は5月ごろに、アオバズクの鳴き声の日記を書いたと思う。 フクロウは、 ホーホ、ホッホホーホ と鳴く。 アオバズク ホーホー ホーホー ホーホー と鳴く。似てるが別の種です。 しばらく見てると、フクロウははばたいて、頭上2mくらいのところをかすめた。 街灯の光で、翼のこげ茶の虎斑模様が見えた。 翼は他の鳥より広い。左右広げた幅もそうだが、面積が広いといえばいいか。ぶわっと広げた感じ、なのに音もなく滑空していく。 この翼でネズミなどを音もなく襲うんだな。 フクロウは別の電線に止まり、しばらくじっとして、また山のほうに飛んでいって見えなくなった。 シルエットを、記憶を辿って描いてみた。 なぜわざわざ一人でしゃべってる(ケータイ通話中)の人間の近くに止まったんだろう。電線はどこにもあるのに。 フクロウも、(なんだろこいつ)と様子を見に来たんだと思う。鳥は頭がいいから。 そんなに山奥?と思うかもしれないけどそうでもない。 フクロウの類は案外人里の近くにいるから。 フクロウを見たことない人も、フクロウに見られてるかもホッホホーホ。
日常雑記
HAMaDAS
2009-04-24T22:55:50+09:00
大きな鳥がすーっと音もなく飛んできて、10くらい離れた電線に止まった。トビとカラスの間くらいの大きさか。頭がずんぐりしている。
でもトビやカラスは夜飛ばない。夜に飛ぶ大きな鳥、といえば・・・
そう、フクロウ。
目は見えないけど、なんだかこっちを見てる気がする。
この辺ではフクロウは時々見かけるし、鳴き声を聞くこともある
。去年は5月ごろに、アオバズクの鳴き声の日記を書いたと思う。
フクロウは、
ホーホ、ホッホホーホ と鳴く。
アオバズク
ホーホー ホーホー ホーホー
と鳴く。似てるが別の種です。
しばらく見てると、フクロウははばたいて、頭上2mくらいのところをかすめた。
街灯の光で、翼のこげ茶の虎斑模様が見えた。
翼は他の鳥より広い。左右広げた幅もそうだが、面積が広いといえばいいか。ぶわっと広げた感じ、なのに音もなく滑空していく。
この翼でネズミなどを音もなく襲うんだな。
フクロウは別の電線に止まり、しばらくじっとして、また山のほうに飛んでいって見えなくなった。
シルエットを、記憶を辿って描いてみた。
なぜわざわざ一人でしゃべってる(ケータイ通話中)の人間の近くに止まったんだろう。電線はどこにもあるのに。
フクロウも、(なんだろこいつ)と様子を見に来たんだと思う。鳥は頭がいいから。
そんなに山奥?と思うかもしれないけどそうでもない。
フクロウの類は案外人里の近くにいるから。
フクロウを見たことない人も、フクロウに見られてるかもホッホホーホ。
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極楽寺坂でのこと
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/2009-03-04
月曜の夜、藤沢方面からの帰り道。 普段なら稲村ヶ崎を通っていくのだが、なんとなく極楽寺の方から回っていった。風が寒かったからかもしれない。 駅を過ぎて極楽寺切通しを下りはじめたあたりで、歩道の隅に何かの塊が目の端に入った。 (あれ、まさか人が倒れてるんじゃないだろうな) バイクをUターンさせる。 ヘッドライトの光に、運動靴の白い靴底。リュックを背負った背中。倒れた傘。 やっぱり人だ、やばい。 あの暗い極楽寺坂の冷たい歩道の上。 バイクを止めて、歩み寄る。小柄な背中。散歩帰りのおばあさんかな。いや、黒い真っ直ぐの髪が見えた。 「大丈夫ですか、大丈夫ですか」 返事がない。 呼びながら肩を叩く。 「ん・・・」 「あ・・どしたんだろ」 高校生か、中学生か。いや暗かったから小学生かもわからない。小柄な女の子だった。 もう一人、通りがかりの若い男も立ち止まった。 怪我はないようだ。寒い中切通しを登ってきて貧血起こしたのか。 「家は近くなの?」 「はい。大丈夫です。ありがとうございました」 といって、ちょっとふらつきながら歩いていった。 この寒い夜、長い時間倒れていたらやばいことにもなりかねない。8時頃だから人通りがないではないが。 ・・後で思った。 今日はどうして普段通らない極楽寺坂を通ったんだろう。 偶然だろうか。 それとも、何か虫の知らせのようなものがあったのだろうか。どちらでもいいのだけど、まだ世界に分からないことがあるのも悪くない。
日常雑記
HAMaDAS
2009-03-04T23:16:06+09:00
普段なら稲村ヶ崎を通っていくのだが、なんとなく極楽寺の方から回っていった。風が寒かったからかもしれない。
駅を過ぎて極楽寺切通しを下りはじめたあたりで、歩道の隅に何かの塊が目の端に入った。
(あれ、まさか人が倒れてるんじゃないだろうな)
バイクをUターンさせる。
ヘッドライトの光に、運動靴の白い靴底。リュックを背負った背中。倒れた傘。
やっぱり人だ、やばい。
あの暗い極楽寺坂の冷たい歩道の上。
バイクを止めて、歩み寄る。小柄な背中。散歩帰りのおばあさんかな。いや、黒い真っ直ぐの髪が見えた。
「大丈夫ですか、大丈夫ですか」
返事がない。
呼びながら肩を叩く。
「ん・・・」
「あ・・どしたんだろ」
高校生か、中学生か。いや暗かったから小学生かもわからない。小柄な女の子だった。
もう一人、通りがかりの若い男も立ち止まった。
怪我はないようだ。寒い中切通しを登ってきて貧血起こしたのか。
「家は近くなの?」
「はい。大丈夫です。ありがとうございました」
といって、ちょっとふらつきながら歩いていった。
この寒い夜、長い時間倒れていたらやばいことにもなりかねない。8時頃だから人通りがないではないが。
・・後で思った。
今日はどうして普段通らない極楽寺坂を通ったんだろう。
偶然だろうか。
それとも、何か虫の知らせのようなものがあったのだろうか。
どちらでもいいのだけど、まだ世界に分からないことがあるのも悪くない。
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西御門サローネ(旧里見邸)でアンティークフェア
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/2009-01-28
鎌倉の西御門サローネ(旧里見邸)で、フランス・北欧古道具、和骨董の展示、販売をやります。 アンティークと旧里見邸の洋館が、どんな風に響きあうかも楽しみです。 日程:2009年3月28、29日(土、日) 12:00~18:00 場所:西御門サローネ(旧里見邸) 鎌倉市西御門1-19-3 http://www.nishimikado-salone.jp/ 出展者は ○donum (ドナム) http://donum.jp/ ○黒い羊 http://nyabs.exblog.jp/ ○大野陽子さん(和骨董) 大野さんは、雑誌COYOTEで旅と骨董のエッセイを連載中の方。 ※車の置き場所がないので、もし車で来られる方は金沢街道のパーキングをご利用ください。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あの場所で、骨董市をやったらいいだろうと前から思っていた。とはいえまったく知らない業界だから、誰から声をかけたらいいかいろいろ考え、それで骨董市めぐりをしたりしていた。今回のも不思議な縁で、ひょんなことから知り合った奈良のアンティーク屋さんから廻り廻る人の縁で、donumさん、黒い羊さんがやってくれることになった。大野さんは、鶴岡八幡宮の骨董市に出されている所を見かけて声をかけた。売っている品物が、ただ並べているだけでなく「しつらえ」になっていた。きっとあの建物を生かした展示をしてくれるのではと思い声をかけてみた。聞けば、知り合いの建築家に家を直してもらっているとのこと。エッセイも書かれているので、そんなところも共通の話題がある。モノをめぐって人もめぐる。気に入ったモノにはどこか共通する人が惹かれるのだろうか。知らずにころころと人のつながりが広がっていく。こんどはどんなモノと人が集まるか。
アート
HAMaDAS
2009-01-28T21:52:56+09:00
アンティークと旧里見邸の洋館が、どんな風に響きあうかも楽しみです。
日程:2009年3月28、29日(土、日) 12:00~18:00
場所:西御門サローネ(旧里見邸) 鎌倉市西御門1-19-3
http://www.nishimikado-salone.jp/
出展者は
○donum (ドナム)
http://donum.jp/
○黒い羊
http://nyabs.exblog.jp/
○大野陽子さん(和骨董)
大野さんは、雑誌COYOTEで旅と骨董のエッセイを連載中の方。
※車の置き場所がないので、もし車で来られる方は金沢街道のパーキングをご利用ください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あの場所で、骨董市をやったらいいだろうと前から思っていた。
とはいえまったく知らない業界だから、誰から声をかけたらいいかいろいろ考え、それで骨董市めぐりをしたりしていた。
今回のも不思議な縁で、ひょんなことから知り合った奈良のアンティーク屋さんから廻り廻る人の縁で、donumさん、黒い羊さんがやってくれることになった。
大野さんは、鶴岡八幡宮の骨董市に出されている所を見かけて声をかけた。
売っている品物が、ただ並べているだけでなく「しつらえ」になっていた。きっとあの建物を生かした展示をしてくれるのではと思い声をかけてみた。
聞けば、知り合いの建築家に家を直してもらっているとのこと。エッセイも書かれているので、そんなところも共通の話題がある。
モノをめぐって人もめぐる。
気に入ったモノにはどこか共通する人が惹かれるのだろうか。知らずにころころと人のつながりが広がっていく。
こんどはどんなモノと人が集まるか。
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新春・湘南の蜃気楼
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/2009-01-08
遅まきながら、あけましておめでとうございます。元旦から3日まで、海を見ると毎日蜃気楼が見えた。あまり話題にされないけれど、湘南の海ではよく蜃気楼が見られる。 蜃気楼は空気の温度差によって空気の密度の差ができ、それで光が屈折して通常を違う見え方がするわけだが、おおむね3種類ある。①冷たい空気の上に暖かい空気が入って、水平線彼方のものが浮いてみえるもの。富山湾などで見られる珍しい蜃気楼はこれ。②暖かい空気の上に冷たい空気が入って、地上や水面に空などが反射するもの。春夏の道路でみられる逃げ水もこれ。③左右の気温差によるもの詳しく知りたい人はこちらを。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%83%E6%B0%97%E6%A5%BC 正月に見えた蜃気楼の写真がこれ。写真をクリックするとアルバムに飛んで、拡大して見れます。写真のような、この辺で見られるのは、暖かい空気の上に冷たい空気があって、空が海面に映りこむもの。理屈は多分こうだろう。 海水は空気より冷えるのが遅く、この季節では大気より暖かい。黒潮の影響もあるかもしれない。 そこに冷えた空気が入ってくると、温度差が出来て光が屈折し上向きにカーブする。それで空が海面に映って、島や半島が浮いて見えたりするんだろう。 2日の夕方、伊豆大島の下に白く水平の筋が入って、島が浮いているように見えた。こういうのは初めて見た。ちなみに富山湾型の蜃気楼もたまに見えることがある。 去年の2月25日、普段見えない初島が見たことがある。写真アルバムにUPしておきます。小さくてほとんどわからないけど。 遠くの船?が氷山みたいに見えたこともある。今後も見えたらUPすることにします。
日常雑記
HAMaDAS
2009-01-08T22:15:26+09:00
元旦から3日まで、海を見ると毎日蜃気楼が見えた。
あまり話題にされないけれど、湘南の海ではよく蜃気楼が見られる。
蜃気楼は空気の温度差によって空気の密度の差ができ、それで光が屈折して通常を違う見え方がするわけだが、おおむね3種類ある。
①冷たい空気の上に暖かい空気が入って、水平線彼方のものが浮いてみえるもの。富山湾などで見られる珍しい蜃気楼はこれ。
②暖かい空気の上に冷たい空気が入って、地上や水面に空などが反射するもの。春夏の道路でみられる逃げ水もこれ。
③左右の気温差によるもの
詳しく知りたい人はこちらを。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%83%E6%B0%97%E6%A5%BC
正月に見えた蜃気楼の写真がこれ。写真をクリックするとアルバムに飛んで、拡大して見れます。
写真のような、この辺で見られるのは、暖かい空気の上に冷たい空気があって、空が海面に映りこむもの。
理屈は多分こうだろう。
海水は空気より冷えるのが遅く、この季節では大気より暖かい。黒潮の影響もあるかもしれない。
そこに冷えた空気が入ってくると、温度差が出来て光が屈折し上向きにカーブする。それで空が海面に映って、島や半島が浮いて見えたりするんだろう。
2日の夕方、伊豆大島の下に白く水平の筋が入って、島が浮いているように見えた。こういうのは初めて見た。
ちなみに富山湾型の蜃気楼もたまに見えることがある。
去年の2月25日、普段見えない初島が見たことがある。写真アルバムにUPしておきます。小さくてほとんどわからないけど。
遠くの船?が氷山みたいに見えたこともある。
今後も見えたらUPすることにします。
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エスカレーター並ぶのは右、左?
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/2008-12-21
エスカレーターに乗るときどっちに立つ?これは最近ではよく知られているように、関東と関西では違う。関東では左側に立って並ぶ。急ぐ人は右を歩いて登る。これが関西では逆になり、右に立って並び、急ぐ人は左。 先日京都に行ったら、たまに関東人が混じっているらしく、右左が混在していた。急ぐ人はジグザグ(笑)。 暇な人が、東京と大阪間のどこで入れ替わるか調べたそうで、結果は岐阜羽島のあたりで分かれると結果がでたそうな。 なぜ東と西で違いがあるのか、深い訳があるのかないのか。いろんな説があるが、信憑性ありそうなのは、大阪万博の時にイギリスのルールを導入したから、関西では左を歩く、というもの。昔は、武士が刀を指していたから左側通行。それが残っていて左という説もおもしろい。では関東は?たぶんはっきり誰かが決めたのではなく、自然発生的にそうなったのではと思う。ルール、というかマナーとして、そうしようね的に教えられた記憶がある。ところで、横浜のヨドバシカメラでは、 「左側に並ばず2列に立ってエスカレーターにお乗りください・・歩いて登るのはおやめください」とアナウンス。でもみんな左に並んでた。 だれもヨドバシのエスカレーターを歩いたり走って登る人いないんだけど、律儀に右側を空けて。駅の癖だね。 ちょっと滑稽。エスカレーターなど歩いても走っても、そんなに時間が変わるわけでもないだろう。無意味に急ぐの止めると、気持に余裕ができるかも。
日常雑記
HAMaDAS
2008-12-21T00:57:58+09:00
これは最近ではよく知られているように、関東と関西では違う。
関東では左側に立って並ぶ。急ぐ人は右を歩いて登る。
これが関西では逆になり、右に立って並び、急ぐ人は左。
先日京都に行ったら、たまに関東人が混じっているらしく、右左が混在していた。急ぐ人はジグザグ(笑)。
暇な人が、東京と大阪間のどこで入れ替わるか調べたそうで、結果は岐阜羽島のあたりで分かれると結果がでたそうな。
なぜ東と西で違いがあるのか、深い訳があるのかないのか。
いろんな説があるが、信憑性ありそうなのは、
大阪万博の時にイギリスのルールを導入したから、関西では左を歩く、というもの。
昔は、武士が刀を指していたから左側通行。それが残っていて左という説もおもしろい。
では関東は?
たぶんはっきり誰かが決めたのではなく、自然発生的にそうなったのではと思う。
ルール、というかマナーとして、そうしようね的に教えられた記憶がある。
ところで、横浜のヨドバシカメラでは、
「左側に並ばず2列に立ってエスカレーターにお乗りください・・歩いて登るのはおやめください」とアナウンス。
でもみんな左に並んでた。
だれもヨドバシのエスカレーターを歩いたり走って登る人いないんだけど、律儀に右側を空けて。駅の癖だね。
ちょっと滑稽。
エスカレーターなど歩いても走っても、そんなに時間が変わるわけでもないだろう。
無意味に急ぐの止めると、気持に余裕ができるかも。
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デルス・ウザーラ考
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/2008-12-09
そういうわけで、昨日『デルス・ウザーラ』を見た。 こんなに静かな映画だったかな、という印象だ。 台詞も少なく、出演者のわずかな身振りで心情を豊かに伝える。 BGMもほとんどなし。それだけに一度だけ流れる兵士たちの合唱が沁みる。 当時の極東には、いろんな民族が入り混じりっていた。人など自然の前ではちっぽけな動物の一種族でしかない。 デルスは先住民のゴリド人。デルスが、焚き火の前で木を削り、一端を残して枝状のものを作り、火にくべる、祈りのようなシーンがある。 それはアイヌの作るイナウに似ている。諏訪の御柱祭でも、同種のものをオンベ(御幣)といって先導する者が掲げる。 共通の祖をもつ習慣なのかもしれない。デルスももちろんだけど、カピタン、アルセーニエフがいい。 デルスへの最初の一言は、何者か、でもどこから来た、でもなく 「何か喰うか」。 家から出て行く時、跪こうとするデルスの手を握り、同じ目の高さで話す。 銃を渡す時、これを持っていけ、ではなく「受け取ってくれ」。 最後の最後まで、デルスへの友情と敬愛をかかさない。 言葉や表情が少ないだけに、台詞やしぐさのひとつひとつまで丁寧に考えてある。そんなデルスをはじめ登場人物たちの、大自然の中につつましく暮らす自然観は、東洋人には馴染み深いものだ。やはり西洋人、ロシア人でなく東洋人の黒澤だからこそ描ける自然観だっただろう。 また、今見るといろいろわかることがある。 物語の冒頭。晩年の将校が、昔の友を埋葬した森を訪ねるところからはじまる。だが森は開拓のため切り開かれ、目印にした大木も切られ、丸太がころがるばかり。かつての面影もなく、将校は立ち尽くす。デルスとの探検は1902年、07年。日露戦争 1904~05年ロシア革命は1917年。ソビエト連邦成立が1922年。冒頭のこのシーンは、ロシア革命後の、社会主義国家建設の時代ということだろう。唯物史観のもと、古いものや精神的な価値は否定されていく。太陽も、獣も、火も、「ひと」と呼ぶデルスの自然観は、唯物主義とは相反するものだ。のっけから黒澤は、旧ソビエトと現代の唯物主義に対する批判を突きつける。一回目、二回目の探検の間に5年のブランクがある。 映画では描かれないが、その間には日露戦争があった。後半の探検、1907年に将校は再び極東を訪れ、デルスと再開を喜ぶ。抱き合って子犬のように喜ぶ将校とデルス。 日本人の黒澤が、ソ連の全面協力で、こ..
日常雑記
HAMaDAS
2008-12-09T01:08:55+09:00
こんなに静かな映画だったかな、という印象だ。
台詞も少なく、出演者のわずかな身振りで心情を豊かに伝える。
BGMもほとんどなし。それだけに一度だけ流れる兵士たちの合唱が沁みる。
当時の極東には、いろんな民族が入り混じりっていた。人など自然の前ではちっぽけな動物の一種族でしかない。
デルスは先住民のゴリド人。デルスが、焚き火の前で木を削り、一端を残して枝状のものを作り、火にくべる、祈りのようなシーンがある。 それはアイヌの作るイナウに似ている。諏訪の御柱祭でも、同種のものをオンベ(御幣)といって先導する者が掲げる。 共通の祖をもつ習慣なのかもしれない。
デルスももちろんだけど、カピタン、アルセーニエフがいい。
デルスへの最初の一言は、何者か、でもどこから来た、でもなく
「何か喰うか」。
家から出て行く時、跪こうとするデルスの手を握り、同じ目の高さで話す。
銃を渡す時、これを持っていけ、ではなく「受け取ってくれ」。
最後の最後まで、デルスへの友情と敬愛をかかさない。
言葉や表情が少ないだけに、台詞やしぐさのひとつひとつまで丁寧に考えてある。
そんなデルスをはじめ登場人物たちの、大自然の中につつましく暮らす自然観は、東洋人には馴染み深いものだ。やはり西洋人、ロシア人でなく東洋人の黒澤だからこそ描ける自然観だっただろう。
また、今見るといろいろわかることがある。
物語の冒頭。
晩年の将校が、昔の友を埋葬した森を訪ねるところからはじまる。だが森は開拓のため切り開かれ、目印にした大木も切られ、丸太がころがるばかり。かつての面影もなく、将校は立ち尽くす。
デルスとの探検は1902年、07年。
日露戦争 1904~05年
ロシア革命は1917年。
ソビエト連邦成立が1922年。
冒頭のこのシーンは、ロシア革命後の、社会主義国家建設の時代ということだろう。唯物史観のもと、古いものや精神的な価値は否定されていく。太陽も、獣も、火も、「ひと」と呼ぶデルスの自然観は、唯物主義とは相反するものだ。
のっけから黒澤は、旧ソビエトと現代の唯物主義に対する批判を突きつける。
一回目、二回目の探検の間に5年のブランクがある。 映画では描かれないが、その間には日露戦争があった。
後半の探検、1907年に将校は再び極東を訪れ、デルスと再開を喜ぶ。抱き合って子犬のように喜ぶ将校とデルス。
日本人の黒澤が、ソ連の全面協力で、この映画を作ったということには象徴的だ。いろんな意味で価値ある日ソの合作だった。
全編に、現代を覆う唯物論に対する批判が込められているように感じる。
それを許したソビエトは、いわば道化を身近に置いて、自分を批判させたリア王のようだ。
数々の文豪を生んだ文化的深みは、ソ連時代にもいくらかは受け継がれていたのかもしれない。
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アルセーニエフを演じた、ユーリ・ソローミンという役者、「おろしや国酔夢譚」に出てたような気がした。調べてみたらやっぱりそうだった。
映画での場面というより、撮影のドキュメントに記憶がある。
緒形拳の熱演の後、後ろから静かに拍手を送っている姿を思い出したのだ。
その姿がカピタンそのものに見えたように記憶している。、
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黒澤明「デルス・ウザーラ」の原作
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/2008-12-03
「デルス・ウザーラ」は、70年代の黒澤明の映画のタイトル。 子供の頃、ほぼ初めて見た映画がこれだったと覚えている。 舞台は20世紀初頭の極東ロシア。 未開のツンドラ地帯を探検にやってきたロシア将校と、現地の民デルス・ウザーラとの出会い。 デルスは自然を知り尽くし、将校一行を導いて供に森を歩く。 その自然観はアイヌに近いものがありそうだ。 当時黒澤明はスランプで、ソビエトが手を差し伸べた。 全面協力するからということで撮ったのがこの映画だそうだ。 ずーっと後になって、これの原作になった本が出てると知った。 それがこの本。読んでみると、映画はかなり原作に忠実に作っている。 6日土曜に、この「デルス・ウザーラ」、BSやるらしいです。 こんな寒い季節には丁度いいかも。
日常雑記
HAMaDAS
2008-12-03T20:12:00+09:00
子供の頃、ほぼ初めて見た映画がこれだったと覚えている。
舞台は20世紀初頭の極東ロシア。
未開のツンドラ地帯を探検にやってきたロシア将校と、現地の民デルス・ウザーラとの出会い。
デルスは自然を知り尽くし、将校一行を導いて供に森を歩く。
その自然観はアイヌに近いものがありそうだ。
当時黒澤明はスランプで、ソビエトが手を差し伸べた。
全面協力するからということで撮ったのがこの映画だそうだ。
ずーっと後になって、これの原作になった本が出てると知った。
それがこの本。読んでみると、映画はかなり原作に忠実に作っている。
6日土曜に、この「デルス・ウザーラ」、BSやるらしいです。
こんな寒い季節には丁度いいかも。
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横浜トリエンナーレ終了
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/2008-12-02
横浜トリエンナーレが30日で終わった。 最後の30日になって、見残していた三渓園と新港ピアをバタバタっとほぼ全部回ったと思う。 ?なのもあったが、印象に残るのもあった。 ・三渓園では内藤礼が茶席の中に展示。天井からの細い紐が、電熱線の熱でゆらゆらする。究極のミニマルアートだ。 ・写真のように、谷間に霧。この霧が中谷芙二子の作品。 ・合掌造りの和室でゴロゴロ戯れる男女のパフォーマンス。 外人には畳でゴロゴロするのが新鮮なのかもしれない。 三渓園の環境を活かしつつ、普段気付かない世界を見せていた。新港ピアでは、 ・天井から釣られた鏡のモビール。 ・部屋一面に割られた鏡。これらは見ている人や周囲の風景が映りこみ、刻々と表情を変えていく。・社会主義をパロった人形。それを使った劇の映像。これウケてて、一番人だかりが多かった。 などなど。 埠頭では海上保安庁の船公開をやってたのでついでに見てきた。 アートという無用の極致から、船という実用の極致へ。案外新鮮だ。船というものはすべて無駄なく設計されているはずなのに、どこかユーモラスだったり懐かしい感じがするものだ。 前に見たレンガ倉庫での展示も含めて、こっちに写真UPしました。
アート
HAMaDAS
2008-12-02T19:56:13+09:00
最後の30日になって、見残していた三渓園と新港ピアをバタバタっとほぼ全部回ったと思う。
?なのもあったが、印象に残るのもあった。
・三渓園では内藤礼が茶席の中に展示。天井からの細い紐が、電熱線の熱でゆらゆらする。究極のミニマルアートだ。
・写真のように、谷間に霧。この霧が中谷芙二子の作品。
・合掌造りの和室でゴロゴロ戯れる男女のパフォーマンス。 外人には畳でゴロゴロするのが新鮮なのかもしれない。
三渓園の環境を活かしつつ、普段気付かない世界を見せていた。
新港ピアでは、
・天井から釣られた鏡のモビール。
・部屋一面に割られた鏡。
これらは見ている人や周囲の風景が映りこみ、刻々と表情を変えていく。
・社会主義をパロった人形。それを使った劇の映像。これウケてて、一番人だかりが多かった。
などなど。
埠頭では海上保安庁の船公開をやってたのでついでに見てきた。
アートという無用の極致から、船という実用の極致へ。案外新鮮だ。
船というものはすべて無駄なく設計されているはずなのに、どこかユーモラスだったり懐かしい感じがするものだ。
前に見たレンガ倉庫での展示も含めて、こっちに写真UPしました。
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ミャンマーのアルバムUPしました。
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/2008-11-28
ミャンマーのアルバムUPしました。写真をクリックすると飛びます。今まで行った国で、人がいい国はと聞かれれば、ミャンマーとラオスと答えるだろう。 上座部仏教の教えのためか、旅人にはとても優しい人々が多い国だ。たとえばこんなことがあった。 ヤンゴンから夜行バスでインレー湖というところに行った。 早朝、寝ぼけた頭でバスを降りると、カメラバックがない。そっくりバスの中に置いてきてしまったのだ。血の気が引いた。 宿の人に相談するとあれこれ手配してくれ、どこからか現れたおじさんがバス会社に連絡をとってくれた。夕方バス駐車場に行こうという。 車で連れられ、郊外の空き地にそのバスは止まっていた。 中にはバッグがぽつん。中は夜行の冷えた空気が残っている。開けられた形跡もなく、中身はそのまま。 「なんで忘れたんだ?」 運転手らしき男が一言つぶやいた。 帰りに、案内してくれたおじさんは、おばあさんの家に誘ってくれた。 おばあさんは日本語が話せるのだという。 「戦争中、私はメイミョーという街にいましてですね・・・たくさん日本の兵隊さんがやってきました・・・」 話すたびに、おばあさんは背を伸ばして気をつけの姿勢をした。何十年の時を経て、おばあさんの記憶に残った言葉は、少し昔の日本人の丁寧な言葉だった。 一家の写真を撮って家を後にした。 あの穏やかなミャンマーが、人権を省みない軍事政権に支配されたままなのは皮肉なことだ。
旅ばなし
HAMaDAS
2008-11-28T21:44:46+09:00
写真をクリックすると飛びます。
今まで行った国で、人がいい国はと聞かれれば、ミャンマーとラオスと答えるだろう。
上座部仏教の教えのためか、旅人にはとても優しい人々が多い国だ。
たとえばこんなことがあった。
ヤンゴンから夜行バスでインレー湖というところに行った。
早朝、寝ぼけた頭でバスを降りると、カメラバックがない。そっくりバスの中に置いてきてしまったのだ。血の気が引いた。
宿の人に相談するとあれこれ手配してくれ、どこからか現れたおじさんがバス会社に連絡をとってくれた。夕方バス駐車場に行こうという。
車で連れられ、郊外の空き地にそのバスは止まっていた。
中にはバッグがぽつん。中は夜行の冷えた空気が残っている。開けられた形跡もなく、中身はそのまま。
「なんで忘れたんだ?」
運転手らしき男が一言つぶやいた。
帰りに、案内してくれたおじさんは、おばあさんの家に誘ってくれた。
おばあさんは日本語が話せるのだという。
「戦争中、私はメイミョーという街にいましてですね・・・たくさん日本の兵隊さんがやってきました・・・」
話すたびに、おばあさんは背を伸ばして気をつけの姿勢をした。何十年の時を経て、おばあさんの記憶に残った言葉は、少し昔の日本人の丁寧な言葉だった。
一家の写真を撮って家を後にした。
あの穏やかなミャンマーが、人権を省みない軍事政権に支配されたままなのは皮肉なことだ。
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エコ調理・ペレットストーブとソーラークッカー
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/2008-11-23
知人の家で使われているペレットストーブきりん君。ペレットとは、おがくず、木屑などを固めた燃料。それ専用のストーブがペレットストーブ。室内用もあるが、これは屋外で楽しめる携帯用。分解して車にも積めるのが特徴だ。廃材が燃料になるので、CO2フリーと木材の有効利用でぼつぼつ注目されている。ペレットが安定して供給されればもっと使い安くなるだろう。これは、街でたまたま見かけたソーラークッカー。太陽の光を集めて調理する。この人はクッキーを作っていた。おこわ、焼き芋などもできるらしい。長時間加熱する料理にいいのかも。これはパラボラ式のもの。もっと高熱になるので鍋も煮えるという。チベットでこういうのが使われている写真をを見たことがある。どちらも、キャンプや屋外のイベントなどで使ったら楽しそうだ。
日常雑記
HAMaDAS
2008-11-23T09:52:28+09:00
ペレットとは、おがくず、木屑などを固めた燃料。それ専用のストーブがペレットストーブ。
室内用もあるが、これは屋外で楽しめる携帯用。分解して車にも積めるのが特徴だ。
廃材が燃料になるので、CO2フリーと木材の有効利用でぼつぼつ注目されている。
ペレットが安定して供給されればもっと使い安くなるだろう。
これは、街でたまたま見かけたソーラークッカー。
太陽の光を集めて調理する。この人はクッキーを作っていた。おこわ、焼き芋などもできるらしい。長時間加熱する料理にいいのかも。
これはパラボラ式のもの。もっと高熱になるので鍋も煮えるという。
チベットでこういうのが使われている写真をを見たことがある。
どちらも、キャンプや屋外のイベントなどで使ったら楽しそうだ。
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バリの写真UPしました。
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/2008-11-16
バリ島やアグン山の写真、ぼつぼつUPしてます。写真をクリックすれば、アルバムに飛びます。見てみてください。11/22 写真追加しました。バリ・アルバムアグン山・アルバム
旅ばなし
HAMaDAS
2008-11-16T09:44:28+09:00
写真をクリックすれば、アルバムに飛びます。
見てみてください。
11/22 写真追加しました。
バリ・アルバム
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藤袴を守ろう、探そう
https://hamadatatsuya.blog.ss-blog.jp/2008-11-14
藤袴は万葉集や源氏物語で詠われた野草で、かつては河原など至るところに生えていたそうですが、今では野生の原種は滅多に見られなくなり、準絶滅危惧種に指定されているそうです。京都では藤袴を守る運動が行われているそうです。数年前、大原野に自生している原種を発見、株を増やしてあちこちに植えたり飾ったりしています。写真は東山の高台寺。白、ピンクのものは園芸店などで売られていますが、それは他の種と交配した園芸種。茎が赤いのは違うそうです。このへんでもどこかに咲いてないですかね? 川の土手などによく生えるそうです。 見つけた方はご一報を。 ↓藤袴プロジェクト http://www.kbs-kyoto.co.jp/contents/fujibakama/ 鎌倉・光則寺にて
日常雑記
HAMaDAS
2008-11-14T21:47:25+09:00
京都では藤袴を守る運動が行われているそうです。
数年前、大原野に自生している原種を発見、株を増やしてあちこちに植えたり飾ったりしています。
写真は東山の高台寺。
白、ピンクのものは園芸店などで売られていますが、それは他の種と交配した園芸種。
茎が赤いのは違うそうです。
このへんでもどこかに咲いてないですかね?
川の土手などによく生えるそうです。
見つけた方はご一報を。
↓藤袴プロジェクト
http://www.kbs-kyoto.co.jp/contents/fujibakama/
鎌倉・光則寺にて
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