川崎民家園に行ってきた。 [建築、住宅、街並]
川崎民家園にいってきた。
今までも何回か行ってるけどその度発見がある。
今回驚いたのはボランティアの方々の勉強熱心なこと。
民家については大学教授くらいの知識じゃないかな。こちらの質問に的確+αの答えが帰ってくる。
で、聞いて面白かったのが富山の白川郷合掌造りのひみつ。
あれの囲炉裏の周りの地下で、火薬の原料の硝石を作っていたんだって。何か原料を囲炉裏の周りに埋めておくと熱とバクテリアの働きで硝石ができるんだそうな。で、前田家は幕府に極秘で住民に硝石を作らせていた。
秘密が漏れないよう、このあたりでは橋を作らず縄をつたって籠で行き来し、怪しい者(隠密?)の侵入を防いでいたんだって。
貧しくも長閑な合掌造りの風景は、今で言えば秘密ハイテク工場だったというわけ。
今、和風の家といえば畳と障子、瓦屋根を思い出すが、それはおおむね江戸時代以降の数奇屋。
昔の民家を辿ると、アジアや世界につながる広い世界が見えてくるようだ。
今までも何回か行ってるけどその度発見がある。
今回驚いたのはボランティアの方々の勉強熱心なこと。
民家については大学教授くらいの知識じゃないかな。こちらの質問に的確+αの答えが帰ってくる。
で、聞いて面白かったのが富山の白川郷合掌造りのひみつ。
あれの囲炉裏の周りの地下で、火薬の原料の硝石を作っていたんだって。何か原料を囲炉裏の周りに埋めておくと熱とバクテリアの働きで硝石ができるんだそうな。で、前田家は幕府に極秘で住民に硝石を作らせていた。
秘密が漏れないよう、このあたりでは橋を作らず縄をつたって籠で行き来し、怪しい者(隠密?)の侵入を防いでいたんだって。
貧しくも長閑な合掌造りの風景は、今で言えば秘密ハイテク工場だったというわけ。
今、和風の家といえば畳と障子、瓦屋根を思い出すが、それはおおむね江戸時代以降の数奇屋。
昔の民家を辿ると、アジアや世界につながる広い世界が見えてくるようだ。
2008-11-09 22:07
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